震災時のトイレなど ちょっとびろうなお話ですみません

 東日本の震災では、うちの地域は電話も電気も使えてそれほど不便はなかった。被害の少なかったスーパーがすぐ営業したおかげで食料や灯油は並びさえすればなんとかなった。
飲料水は配給に毎日並ぶことで家族3人しのぐことができたが、トイレや風呂の分まで間に合わせることは出来なかった。
各地の道路の盛り上がりを見ればわかるように水道管の破損はいたるところであるようで、自宅付近の補修が済み、水道が使えるまでは数日間を要した。
最近はトルネード投法がどうとかで節水トイレで各社しのぎを削っているが、家のトイレはそれ以前のタイプのため一回流すのに10リットルは必要らしい。湧き水のある場所で汲んだ泥水をせめてトイレ用にとタンクへ入れてみたが一回でほとんど使い切ってしまい、何度も流すのは不可能だった。
メーカーHPには断水時に水はタンクへ入れずに便器に直に流してくれとのこと。水量が少ないと詰まる恐れがあるとのことだが、知らずに水を節約して使ったため二階のトイレなどはその後ずっと詰まりやすくなって閉口した。

 今の非常用トイレはよく出来ており、清潔で臭いも少ない。トイレにちょっと被せるようにするだけで後始末も簡単であると後に介護関連で知るようになる。しかし震災時はそんなことは知らずに不潔としか思えず、常備する事など考えもしなかった。
 オシッコは男は適当にそのへんで済ますことができる。しかし母はそうはいかない。それに大の方をいちいち2km先の町役場の仮設トイレまで行って、自分の番が来るまで漏らさずにおとなしく行列に並び、個室に入っても後ろに続く人波を気にせずゆっくりと用をたさなければいけないのは疲れることである。ふと学生時代のM荘トイレ改装事件を思い出すがそれはまた別の話だ。

 家庭菜園が役に立った。3月なので使っていない。
トイレで新聞紙の上に用をたしてから、新聞紙ごと丸めて庭の東側に作った家庭菜園に掘った穴の中に落とす。あとは土をしっかりかけて証拠隠滅。半年もすれば菌類を主とした微生物たちが分解して上等の肥料にしてくれるはずだ。
菌類写真家で糞土師の伊沢正名先生の『くう・ねる・のぐそ 自然に「愛」のお返しを』や「うんこはごちそう」によればそうらしい。
今検索したら先生は去年の4月で通算野糞記録が1万3千回を超えたそうです。健康でなにより、いつまでも記録を伸ばし続けてください。新作もあとでゆっくり読ませていただきます。

 電材屋の仕事をしていたときに現場のトイレを借りなければならないときはちょっと気合を入れて入ってました。
夏場などは命がけで突入し、意識が飛びそうになるのを精神力で支え、現世と何かわからない世界との中間をさまよいながら用をたし無事戻ってきます。
若い作業員などが遠いコンビニまでトイレを借りに行ったりするのもうなづけます。
 でも2年後の東京オリンピックへ向けて快適な仮設トイレの新作がぞくぞく出来ているのだとか。
トイレ大国日本に住む限り快適で多機能な空間は保証され、未来も明るいものになるでしょう。