新幹線のギョーザの臭い

宇都宮餃子の名前をよく聞くようになったのはいつごろだったか、新幹線車内販売での連呼がうっとうしく感じていた頃だった。東京帰りの夕方の車内でお腹は空いていたけど、地元でも売ってるし、自宅で晩酌とともに食べたほうがゆったりしていいかなと、気にはなったけど買わずにいた。
車内販売のお姉さんが回ってきたときに隣に座っていた学生風が注文した。さっきまで大きな弁当をたいらげてビールをのみ始まったばかりだったのにまだ食うのかよと驚いた、居酒屋と間違えてるんじゃないかと思ったけど口には出せずに横目で見る。よほど腹が減ってたのか、買ったばかりの宇都宮餃子を黄色いハンカチの高倉健なみの食べっぷり。高倉健なら許せるってか、嫌な顔すらできないけど、隣の兄ちゃんはムカついた。東京駅から弁当をガツガツ食べているのも決して行儀良くはなく、ガツガツ音を立てて耳障りでもあるし弁当の臭いが鼻につく。自分の学生時代を思えば、もっと汚く、人に不快感を与えていたかもしれないことを考えると文句も言えない。彼が餃子をようやく食べ終えたので安心したのもつかの間、再び通りかかった販売員におかわり注文したときは正直イラッとした。こっちは腹が減ってるから余計ひどい、駅からは車だから酒も我慢してるのに…
ワイドショーで新幹線車内の食べ物の臭いが許せるの許せないの、はては靴を脱いで靴下姿はいかがなものかといったことまで世の中窮屈すぎやしないかなと考えてたら昔の餃子を思い出した。

 筒井康隆の短編でこんなのがあったはず。急行列車に乗った男が席についてタバコを吸い始めたら「禁煙車」であることを指摘され、やむなく次の車両へと移動する。禁煙車でないことを確認して煙草を吸ってから、おもむろに弁当を食べようとしたら、そこは「禁弁車」で弁当を食べることはまかりならん。またまた次の車両へ移動して弁当を食べてから土産の漬物を開けるとそこは「禁臭車」。廻りの乗客に嫌な顔をされて、すごすごと退散する。
最後に何も指定のない車両へとたどりつく男。車内はおしゃべりや子供の泣き声でやかましく、食べ物やなにやらの臭いがあふれかえって煙草の紫煙で曇っている。
しかし男はそんな車内で安心してゆったりとくつろぐことが出来たのだった。
 昔読んだタイトルも覚えていない短編なのだがそんな感じの内容で、禁煙車すら珍しい時代に書かれたので、そのありえなさに笑い飛ばしたものだが、最近の風潮を見ると現実味を帯びてきたようでちと恐ろしい。煙草はもちろん、弁当も騒音もベビーカーも痴漢もなんでも気にしなくていい車両があれば乗ってみたい気もする。