ガラケー出荷台数がついにゼロ!だって?

 「へ~ガラケーなんだ?」
親戚の葬儀でメールをチェックしてると従兄弟にそう話しかけられた。ゆっくりと閉じて半分照れながら胸ポケットに仕舞う。ガラケーを取り出したり操作したりは人目につかないように十分配慮しないと天然記念物発見とばかりに誰かが反応する。今はそれほどめずらしいものなのか? 小学校の二宮金次郎像、汲み取りトイレ、あるいは食堂でカリフラワーを目にするくらいの衝撃か。それともフィルムカメラやソロバンを使うのを目にするくらいの衝撃なのだろうか。ガラケーもポケベルやPHSなどの路線を踏襲するしかないのだろうか。
絶滅の危機にあるガラケー使い。群衆の中で着信があってもこっそりと隠すように電話に出る。道に迷って取引先に電話して「スマホ持ってないんすか」と言われてもヘラヘラして謝るしかできない。シェア自転車を使いたくとも手も足もでず、時刻表をチェックできず早く着きすぎて銀の鈴で果てしなくぼんやりしてる、「値下げできますか?」のコメントに出先で答えられない、悔しい思いをすることも度々だ。
 ともにガラケーで戦おう。誓った仲間たちも次回に会ったときには10年来使っているかのように華麗に流れるような動作でスマホを操作していたりする。
 
 ①料金が高い②SNSの相手がいない③使いこなせない④ネット依存症になる。スマホに関してはそんなところで説明して納得してもらってる。最低限の通話とメールができればいいだけなので月2000円もかからない。ネット通販やブログはPCでやるほうが速いし楽。(だと思う)通話とメールなら操作も単純でアプリもいらない。
一時期ネット依存症的な状態になったことがあるだけに、常にスマホ、つまりネットが手元にあるということを想像しただけで怖くなってくる。ネットに携わる時間を極力減らしたおかげで、今では無駄にネットに時間を取られることもないし、退屈なら本でも読んでたりする。それでも自宅にネット環境がないというだけで不思議と心落ち着く。緊急性のあるメールはガラケーでも返せるし、ネットショップの運営は休日夜間は休みと割り切ることができる。どうしてもというときは職場まで自転車で走る。まあそれほど緊急性を感じることもないし、ちょっと調べたいというときも家には百科事典も辞書もあるし、友人や知人がそばにいれば彼らのスマホに頼ることもできる。「もてばいいのに…」と言われるのをまあそのうちと流す。
 小さくてズボンの前ポケットにも収納可能。消費電力も小さく、頻繁に通話しなければ一週間以上は充電せずに使える。折りたたみなので落としても画面は割れない。盗まれても漏れるのは電話番号の情報ぐらい。使用料金は格安500円~。限定的だがネットに繋ぐこともできるしメールも使える。むしろ使わないほうが不思議でたまらまないくらい。メリットとデメリットを考えてどうなのかと考える人が少しづつ増えて、必ずガラケー回帰の波がやってくるに違いない。持ってるガラケー機は高値で取引されるから大事に取っておこう。なんて幻想も実現しそうもなくなったようだ。キャリアがガラケーを見捨てるのは間違いないんだろう。

 官房長のスマホ料金下げろ指示は、やっと来たかという感じである。もっとも安くなったらスマホ持たない理由がまたひとつ減る。ますます変人扱いされる可能性が高くなった。