ミシンの修理

 ワッチキャップを自分で縫ってみたら思いのほかいい出来でハマってしまった。
火野正平ボヘミアンズのワッチキャップ、定番のシマウマ柄を買ってみたら、すっかり気に入ってしまった。芸能人のファッションの真似とか若い頃からも絶対にしなかったのに、まして帽子をかぶる習慣とかなかったのに、どこへ出かけるのもかぶるようになって帽子がないと落ち着かないくらいになった。毎日のように柄違いをかぶっているこころ旅を見ていると、また新しいのが欲しくなってくる。火野正平の事務所にはメーカーから贈られてくるようだが、もちろん私のところには注文しない限りいつまでたっても送られて来ない。一枚7千円前後をそうそう買うわけにもいかず、ネットで見つけた型紙をダウンロードして、通販で気に入った柄の生地を探す。とりあえずニット生地か天竺かスムースあたり、ジャガードでもいい。肌触りが良くって伸縮性のあるもので楽しげなプリント生地を探す。
CAP1


数千円で送料込みでも何種類もの柄が手に入った。作ってみるとわりといける。次々と作って、また生地を買って、無くなるとまた次のを探し始める。できたものは家族や親戚知人、仕事上でも配りまくる。
洗濯バサミ内蔵の猫のぬいぐるみを、遊びに来るたびに置いていく母の友人の気持ちがわかった。これは一種の麻薬である。
そんなキャップ作りも気がつくと半年経っていた。ていねいにメンテもしたつもりだったミシンもここへ来てやや挙動不審に。いやいやをするような素振りを見せるミシンを、適当に油をさしただけでグイグイ動かしたせいか、ついに下糸が絡まってにっちもさっちもいかなくなった。
調べてみるとボビンの窯に問題があるらしいが、一通りのメンテをしても症状は変わらない。購入したミシン屋は時代の変化とともに煙のように消え去っていて連絡はとれない。
通販で窯を探して自分で取り付ければ3千円ほどで収まるらしいが、窯の問題でなければ無駄である。そんな感じで無駄になったパーツが我が家のそこかしこに眠っている。通販も便利な半面、けっこう罪作りなところもあるのだ。
 
 電話帳で見つけた隣町のミシン屋から修理完了との連絡で朝イチで取りに行ったのは、それからしばらくのこと。まだ朝ごはんの途中なのか口端に味噌汁のネギらしきのをつけたままオヤジさんがでてきた。この界隈では唯一の生き残りのミシン屋は、去年亡くなった私の父の年齢をも超えているようだった。
50年以上は経っているだろう店内は、古いファンヒーターの出す灯油臭い煙が蔓延している。すこしずつ息をしながら、口元のネギを揺らしながら話す店主の説明を聞く。やはり窯の不調で新しいものに取り替えたようだ。年末にきて商売が不調なので修理代14400円はちょっと痛かった。泣く泣く払って店主のバカ丁寧な見送りを後にして急いで家に戻った。
仕事を終えてから夕方いそいそとミシンを動かすと間もなく、また下糸が噛んで止まってしまった。おおかた在庫の適当な窯を入れたせいだろう、と腹を立ててミシン屋へ持ち込んだ。
「ボビンが違うんだよボビンが」
強い口調で文句を言った私に対して、店主は負けじと鼻水をたらしながら反論した。ボビンの厚みが若干違っている。このボビンで問題なかったはずなのに、ボビン窯のデザインが違うのに……しばらく色々なモードで試してみるが、正常に動くので反論できない。とりあえず様子を見てみると言ってそそくさと店を出る。昨日とうって変わって店主のいぶかしげな目つきが背に刺さる。明らかに窯は純正品とは違うのだが動くのだから仕方がない。いままでのボビンが使えないのは残念だがボビン自体は安いので帰りがけに手芸店に寄って同じボビンを買う。レジの脇に見慣れた「洗濯バサミ内蔵猫」がいたのでちょっとうれしい。
 帰って動かしてみると、悔しいことに快調に作動する。鼻水を垂らしたミシン屋に負けた気がして悔しいのじゃなくて、相手のミスと決めつけて怒鳴り込むようにして乗り込んだ自分のいたらなさにだ。
すっかり人間が出来てきたなと思っていたのに相変わらずの早とちりである。
年越しにもやもやした気持ちを残すのがちょっと残念だった。まだまだ落ち着きが足りないのかな。
来年こそは年相応の落ち着きのある人間になりますように。