現金でのお買い物は大変なのだ

 近所のスーパーで買物しようとしたら現金用のトレーが見当たらない。レジの脇に生えてるやつだ。
嫌な予感がしたのが的中。会計が済んで現金を差し出すと無言で店員が指さした先には…自動釣銭機があった。
緊張が走る。コイツとのはじめての出会いは猪苗代湖の道の駅だった。不機嫌そうな店員が会計のあとにここに入れてって指さしたのがピカピカの自動釣銭機だった。一瞬未来へタイムスリップしたのかと思うくらいの衝撃だった。現金の投入まで客がするようになったのか。
だが悟られてはいけない。いかにもこんなもん慣れてるよ、すでに一万回くらい利用してるって顔をして、それでも手を震わせながら使い方を間違えてないか店員の顔色をそっと伺いつつ、同時に後ろに並ぶ客にも見本を見せてやるくらいの気持ちでお札と小銭を投入して出てきた釣り銭とレシートを何食わぬ顔で無言でポケットに突っ込んで歩き出す。完璧にこなした。
だが緊張感は半端じゃなかった。自動券売機さえ苦手なので牛丼はもっぱら吉野家すき家に行く私なのに支払いを自分でやれとは愛想がなさすぎでないか。合理化や省力化もいいが、やりすぎはどんなもんだろう。お金の受け渡しの中に人と人とのつながりというか絆みたいのがあるのじゃないかと。

 まあ便利には違いないが、それでも普及するのはしばらくかかるだろうと思っていたのだが、わりとあっという間にあちこちの飲食店やスーパーに侵食し始めた。人員の削減や効率化、不慣れな店員の間違いを避けるためだとかメリットは多いらしい。

 うちの母なんかは小銭を出そうとしていつもオロオロしていた。数年前の事故から手がしびれてうまく動かないので店員さんに端数の小銭をとってもらったりもする。後ろに並んでいる客が迷惑だろう、万札を出してお釣りをもらえば済むことなのにとたしなめるのだが、そんな店員さんのふれあいがうれしいらしい。それが最近は電子マネーに慣れたようでコジカやらnanacoやらで支払いしとるらしい。
私のように極貧だと、あっちにもこっちにもチャージしておく余裕が無くていざというときに残高がなくって泡くったりする。それでも精算の速さに慣れると前に並んでいる人の現金での小銭のやりとりにイライラする時もある。
 そんなわけで電子マネーは8割がた使いこなせるようになった。クレカもサインレスが増えてからは頻繁に使うようになった。死ぬまで現金派のつもりだったのに流されやすいことこの上ない。

 翌日ご飯がなかったのでラーメンを買いに行った。萬平くんには悪いが私は生ラーメン派だ、5袋も買い置きは無いのだ。自動釣銭機に再び挑戦する決意を固めた。コレを避けてはこれからの時代生き抜くことは出来ないようだから。
その店は釣銭機導入から日が浅い、前に並んでいた夫婦連れは機械を前にふたりで悩んでいる。と、店員さんが「こちらへ」とかごを回した先にはもう一台予備の釣銭機があった。なるほどこれでどんな混雑も処理することができるだろう。いよいよ精算、紙幣を入れてから小銭を取り出してふと思った。まとめて入れてもいいんでないかと。増税以降、買い物は常に小銭との闘いなのだ。ポケットの小銭を減らし、受け取るのを少なくするためにみんな必死だ。
まとめて入れてみる、機械は何も言わずにシャラシャラ吸い込んでいったと思うと余った小銭だけを吐き出すのだ。
たとえば3066円とかの支払いに3121円を出して一瞬店員さんを戸惑わせることもないわけだ。機械は黙って受け取って50円玉と5円玉を一枚づつ戻してくれるわけだ。3100円出して、十円玉×3枚と一円玉×4枚とか小銭が増えて泣くことも少なくなる。受け取る小銭の数を計算しつつ渡す手間が省けるわけだ。
 なるほどこれはいいかもしれない。気兼ねなくあるだけ放り込むだけでいいんだから。自分でスキャンまでするセルフレジもめんどうだ、スキャンだけ店員さんまかせのほうが早くて効率がいいだろう。 
 またひとつ、時代の変遷とともに現れる避けきれない大きな困難に恐れること無く立ち向かい見事撃破してやったわけだ。
たとえ明日「amazon go」みたいな無人コンビニが現れても難なく対処できるだろう。スマホがないのがちょっと心配だけど。24時間営業を拒否してトラブルになってるセブンイレブンのオーナーさんもゆっくり休めるような時代ももうすぐ来るんだろうな。