コピー機の悪行。というより自分が悪いのだが

 葬式が続いた。親戚の葬儀なので2~3日顔をだすことになる。たまにだったら普段ご無沙汰している親戚との顔合わせで楽しいと言ったら故人に怒られてしまうがそれなりの楽しみもある。
しかし週をまたいで連続すると同じ顔ぶれで私の貧弱な持ちネタでは話題につまってしまって退屈過ぎて困る。しかたがないので一人ぼんやりしていると免許の更新が来月だったのを思い出した。通知が来ていたはずだな、と財布に入れてある免許証を確認しようとしたが見つからない。必死で考える、この前見たのはいつの日か、免許証なんてものは警察の要望に応じてチラ見せするか、銀行口座やレンタルビデオの会員登録ぐらいのときにしか出すことはない。警察に会った覚えはないし、銀行もここんとこ縁がない、借金をしないだけマシか。レンタルビデオの時代は終わったようだし、スイミングスクールもジムも横目で通り過ぎるだけなので会員証のたぐいもここ数年はつくった覚えがないのだ。
どこかに落とした可能性は少ないものの無いともいいきれない。悪用されたらどうするか。
顔写真付きなのだから、そのまま使える人は松田優作しかいないわけだが彼はもういない。
もっとも顔写真だって本気で確認するかどうかは怪しいものだし、ネットで免許証コピーを送るだけでもたいがいのことが出来てしまうし、プロなら写真の差し替えで偽造することもできるだろう。
斎場の都合で時間が空いてしまい暇なので考えてばかりいると、とりとめもなく恐ろしい結末、不安な未来ばかり思い描いてしまう。こんなときには誰かに話すといいのだ、気が楽になるし良い考えがうかぶかもしれない。そばにいた年長のいとこに話しかけたらポンと返事が返ってきた「ああ、それはね」。

 翌朝、起きると同時に店まで行くとプリンターの蓋を上げた。スキャナーの上で裏返しになった免許証が輝いて見えた。たしか1月中旬に某銀行の株式口座開設に必要でコピーしたのを思い出した。ひとりでひっそりと冷たいガラスに挟まれながらコイツは一月以上も耐えていたのだ。手のひらで包んでスリスリして温めてやった。
いとこが言うには、免許証が見当たらずに再発行した後しばらくしてから自宅のコピー機の中から発見したそうだ。とにかく話はするものである。
私はコンビニのコピー機から前の人の忘れ物を救出した数は人生で片手を超える。いずれも店員さんに届けて名乗ること無く立ち去った。そうした善行の施しの積み重ねがこうして帰ってきたのだろうと思うと感慨深いものがある。しかしあまり車に乗らないとはいえ約一月半ほど不携帯で走っていたかと思うとちょっと怖いものがある。まあ何事もなくてよかった。
 ちなみに免許証を悪用されても被害者に対し弁済義務は無いようなことが言われているが、やはり気分が良くないしビビリンぼの私としては絶対避けたいところだ。今後は出かける前には免許をきっちりチェックを入れようと誓った。