免許更新と消えた代書屋と老眼と令和に平成三十六年

 「令和」の発表から一夜明け4月2日、新年度の切り替えのせいなのか警察署の駐車場がいっぱいで止められず10分ほどぼんやり待ってからようやく駐車。混雑してるとはいえ手際が悪けりゃ税金ドロボーとか心で叫んで舌打ちでもしてやろうかと思ったが、免許証更新の担当はフル回転で受付、電話対応、視力検査、入金業務一切を一人でやっているので怒るわけにもいかない。
それでも後から受付した人のほうが先に済ませて帰ったのはくやしい。優良ドライバーのまま何度めかの更新なのだ。多分プラチナを超えてスーパーブラックプレミアム免許ぐらいにはなっているはずなのだから最優先してくれ。もしかして意図的に後回しにされたのでは? よもや安全協会費を払わなかったせいかなと勘ぐってしまう。
 初めてとったのが学生の時の原付き免許。当時は府中免許センターの近くに蔓延している代書屋で料金を払うと申請書をタイプしてくれて写真もサービスだったはず。ブルジョア学生でない私は自分で申請書を書いて提出。写真も今は少ないがスーパーのそばにあったりする証明写真機のボックスで撮影したものを持っていけば手数料だけで済んだ。ひとつ問題は免許証の住所氏名がタイプでなく手書きになってしまうことだ。住所やアパート名が長かったりして欄内に収まりきれないときは一部手書きで書かれる免許証もあったが、ごく稀でほとんどの人がタイプされた免許を持っていた。それでも安全協会費さえ払えば住所氏名のタイプはサービスだったはずだがそれを節約するのが学生の本分だと勘違いしていた頃だったから協会費の支払いを断ると担当者はとたんに怖い顔になってタイプのサービスも無いことを告げ、それでも翻意しないと見るとますます怖い顔になって、あっちへ回れとかなんとか明らかに違う待遇を受け果てしない時間が過ぎていって日も暮れかかる頃にようやく直筆住所氏名の免許証を手に入れることができたのだ。
 自分の直筆が印刷されたのを見るのは不思議な気分で本物より下手に見えた。
ーどうせ警察にしか見せないからかまわんよーー直筆免許証を勧めたO君はそう言ったが、実際に貸しレコード(当時のレンタル屋さん)で出来たての免許証を自慢げに見せると、へー手書きだ、めずらしい、どうやって取得したんですか、僕にも出来ますか、俺も欲しい、かっけー…とか賛美の嵐を受けることを妄想して困ってしまっていたのだが、彼らはふやけたような手書きの住所氏名を見て、ただ不審な表情で偽造かおもちゃかとでも思ったのか「学生証かなんかありませんか」と軽く突き返されたのだ。他でも突き返されはしないが、怪訝な表情でしぶしぶと言った調子で処理されるので次第に証明書として免許証を見せることはなくなっていった。
 まあそんなんだから卒業したあとの証明書としての免許証が手書きにするかどうか悩んだのだが、次の更新時には協会費を収めなくともタイプされた免許証がもらえるように制度が変わっていた。更新時の案内も無料サービスになった。そのせいなのか免許センターの前に立ち並ぶ代書屋も徐々に消えていった。落語の「代書屋」に名残りをとどめるのみだ。
 まあそれいらい最強の節約術を知ってるぞといった気分で、更新時には「今回は持ち合わせがなくって、次回でお願いします」と下手にでれば「じゃあ次回お願いしますね」と不機嫌ながらもに答えてくれるパターンがずっと続いていた。同じやり取りも飽きたせいか、どういうわけか今回は持ち合わせが…といういいなれた言葉がでずに「お断りします」とかなんかトゲのある言い方をしてしまったようだ。顔つきが変わったようなのは気のせいか、私のあとの人が先に検査したのも気のせい、自分の番の直前に10分ほど担当者が姿を消したのも普通のこと、何より視力検査でいつもよりも2段ほど下の小さな字を読まされたと思うのも絶対に気のせいなのだ。とりあえずぐっと下(1.5くらい?)を読ませて、駄目なら少しづつ上に行くはずなのだが、今回下の方から一歩も動かずに何度も読まされては間違えて答えた。
ー免許が無いと困るんですーー何年か前の更新のときに視力検査でひっかかって担当者にすがりついてた人を思い出した。メガネを作り直すか体調の良いときに出直してこいと言われて困り果ててる様子が哀れだった。
いよいよ私もメガネを作り直して再検査か?ネットで激安の買えばいいか、JINの株主優待を手に入れるには50万くらいかな?残高いくらあったっけ? なんて考えているうちになんとか小さいランドルト環にもピントが合ってきて3回ほど正答して開放された。やはり老眼が入ってきてるのか。
「平成」の部分を修正テープで消した講習のお知らせをもらって無事終了。
そういえば標識とか見づらくなったなと走りながら思った。すぐに標識の文字が読み取れないのはピント調節機能が衰えてるからか。まあカーナビのせいで標識を凝視することもないのだが。


 礼和元年5月8日。
わざわざ平日の半端な時間に30分ばかりの講習のために呼び出されるので普段はちょっと不機嫌な態度でいるのだが今日は違う。令和改元後に婚姻届をはじめ、行政関連の届け出をして喜んでいる人々の映像がTVで流れている。昨日は「令和」発行の免許証を手に入れて大喜びしている女性の姿をニュースで写していた。
みんなが喜んでいるのだからさぞかし楽しいに違いない。しかも今回から西暦と和暦と二重表示になると聞いてお得な気分でウキウキしていた。眠気をこらえて30分我慢して手に入れた免許証を室外に出てからじっくり眺めたらなんと「令和」の文字はどこにもないではなく「平成36年04月ーー」の文字が私の希望を打ち砕いた。何かの間違いだ、係員に詰め寄ると「平成に申し込んだからしょうがないんですよね」昨日のニュースは5月申請で即日発行の人たちらしい。「これはいらん。取り替えてく入れ」無茶を言ってみるがあっさりスルーされる。次回更新時は「令和」になりますからって慰められるが5年も先のことだ。それまで「平成」の文字をひた隠しにしながら生きていかなければいけない。次の更新はいつ?今年は平成何年だろう?といちいち考えなければいけない。取り返しのつかないことをしてしまった。悔やんでも悔やみきれない一生の不覚慚愧の念に耐えない。
帰り道は窓全開で田舎道を走る。新緑と水の入った田んぼの照り返しが眩しいくらいに美しい。世界はこんなに爽やかなのに私の心はブルーだ。酒井法子碧いうさぎをフルコーラスで熱唱しても気分は晴れない。人生にさほど楽しみのないオッサンの希望をいとも簡単に打ち砕くとは公安委員会もひどいことをするものだ。

平成免許