アパートを買ってみて

 アパートを買ったせいか本業がおろそかになっている気がする。
というか完全に手を抜いてる。いまの場所へ移転してからすでに8年経過。3~5年やって見込みが無ければやめてしまおうとは考えてた。いろいろあって2年ほど仕切り直しで延長もしてみたがかんばしくない。とりあえず何か変えなきゃと何十冊もの投資関連の本を読んだ。みな口を揃えて影響を受けたと語るのがロバート・キヨサキの「金持ち父さん貧乏父さん」だ。ベストセラーなので一応読んだことがあるが当時は何も感じなかった。改めて読んでみた。あれからシリーズが何冊も出ていたのを知った。図書館で片っ端から読んだ。分厚く高いわりには書いてあることはほぼ同じなので読みやすかった。ベストセラーの例に漏れず、同じことを何度も繰り返して書いてあるおかげで、ぼんくらな頭にも少し残るようになった。
 「自宅は負債だ」って言葉が何度もでてくるが正直「バカジャネーノ!」って感想だ。私を含めて気の遠くなるほどの長い年月の貯金と返済によって手に入れた「人生最大の資産」をあっさり否定されたることは今までの人生そのものを否定されることだ。しかし何冊も読んでるうちに納得がいく。うまく洗脳されちゃったかなと冷却期間をおいてみたり、違った方向性の本を読んでみたりするのだが、なるほど基本的考え方が理解できてきた。
 くどいくらいに同じことを繰り返すロバートの本で新しい考え方を少しずつ受け入れることができるようになった。新しい考え方が入ってくるのは悪くない。よどんだ溜まりに清流が流れ込むように頭の中や生活そのものがすっきり活性化するようで気分がいい。古い常識で凝り固まった体がほぐれて新しいことにチャレンジする勇気がわいてくる。



 
  まあ、それでも一歩踏み出すまでは大きな壁があった。やっぱり間違っているんじゃないかと何度も何度も後退する。友人や知り合いに相談しても「止めておけ、いまさらアパート経営なんて」といわれるのが目に見えてる。なまじ不動産に明るい(ふりをしているか、勘違いしている)人に聞くほどばかばかしいことはない。多くの本を読んで自分で判断するしか無かった。間違えても自己責任で突き進むしか無い。投資信託で数十万失ったからってトランプ大統領を恨んでもどうにもならないのだ。
 
 読んだ本はおおきく分けて3種類ほど。ロバートキヨサキの「貧乏父さん~」シリーズによる基本的な投資の考え方について書かれた本。
「まずはアパート1棟買いなさい」石原博光は新装版のでるだけあった基本がきっちり書いてある。猪俣淳の緻密なキャッシュフローや投資戦略が書かれた本も参考になる。
あとは少ない自己資金でもレバレッジをきかせてガンガン買って資産数億!とか煽り系の本はゴミのようにあります。有名投資家の中にはセミナーを開いて受講者を食い物にする人もいるとか。でもそんな軽い本であっても、1棟買う踏ん切りがつかないときの勇気を与えてくれる役に立った。加藤ひろゆき氏の激安アパート経営なんかは大家生活の楽しさが伝わってきて是非やってみたいなと思わせてくれる。一歩踏み出す勇気をもらえました。
 私のほぼ全財産と母からの借金でなんとか中古を買うことができたのはスルガ銀行ショックでローンが通りにくくなってると時期だったせいもあるかもしれない。
本に書いてあるような激安物件とかはなかなか無いし、「鬼のような指し値」などは一笑に付されるだけだ。怒り出す不動産屋も少なくなかった。あきらめて探す範囲を広げた時にタイミングよく値下げになった中古物件がHitした。すぐ電話をして翌日すぐに出かけた。「これはイケる」今までに無い予感があった。90kmの道のりを高速も使わずにひたすら走った。若いときになんともなかった距離も今はもう体にこたえる。最初にネットで目についたときに絶対買おうと決めた。一緒に見に行った母も気に入っていた。それでも一週間時間をおいたのは頭が冷えるのを待つためだった。内見するときは前もって写真やストリートビューで外観や内装をチェック。価格も値頃なら実物を確認。それでも気に入ったもを内見申し込みだ。それを何度も繰り返してきた。このアパートは何がなんでも見に行かなければと感じた。外観デザイン、間取り、広さ、駐車場、価格、ほとんど私の希望を満たしていた。翌日内見予定の人がいるので、即買い付けを入れたいのをぐっとこらえてその日は帰った。
 帰ってから冷静に計算してみる。これからかかる購入費、各種税金、修繕費や家賃収入。築古25年を10年~15年運営して、新築建て替えか更地にして売却かいろんなケースを本を参考に計算する。思ったほど儲からないってのが正直なところだ。それでも今まで見てきたどの物件よりも率が良いと感じた。何よりも街そのものも気に入って自分で住みたいアパートだと思ったのが決め手だった。
早速電話するか直接行って売り主ともに交渉か、などと熱くなっていたときに親戚に不幸があったとの知らせ。田舎の葬式だ。三日も前から皆で集まってだらだらする習わしだ。無理に抜けることもできたし電話でも済むことなのにここへ来てまた臆病風が吹いた。
これはアパートを買うなという神かご先祖様のお告げなのか? こうなるととたんに弱気になって「買わない理由」をつくり始める。やれやれ、葬式さえなきゃぁな。その間に売れちゃったよまったく…みたいなオチを考え始める。親戚の葬儀の時に不動産を買うっていうのもどうなのか、慶事ではないか?不謹慎? たしか加藤ひろゆきは実父が危篤の時でもアパートのリフォームを優先してた。ここで止めたら変わらぬ人生を、いや、下り坂の人生を突き進むだけだ。
三日目の本葬の日、火葬場の待ち時間でもやもやしているとこらえられなくなり不動産屋へ電話した。あれから一週間経っている、決まっているかもしれない、いやきっと決まっている。そのときはまた新たな物件を探すだけだ。最悪のケースを考えて携帯を握る。息が止まりそうなくらいの緊張感で電話したのに担当は留守で詳細もわからない。コールバックは夕方だった。
 「実はあの物件はですねぇ…」待ちかねた電話は悪い予感がした…「あのあと見に来た方の指し値が通らずに決まりませんでした」ラッキー!俺はようやく呼吸ができた。
「基本的に買うつもりです」とかなんとか言ったような気がする。とりあえず少しでも値下げ交渉を頼むがほんの気持ち程度だった。しかしもう逃したくなくって翌週に仮契約の日程を決めた。
 仮契約の日になっても恐怖心が襲ってきて逃げ出したくなった。そんな俺の様子を見て、ついていってやろうかと笑う母に本気でついてきてくれと頼みたかった。それだけ怖かった。ここでやめれば違約金さえいらないのだ。何か見落としがあったかもしれない。不安は次々に襲ってきては大きくなっていく。それでもなんとか人生で何番目かの勇気を振り絞って出かけることにした。
 安全のために電車を使った。先方へ着いてから銀行で手付け金を引き出す。銀行では振り込め詐欺にひっかっかってないことを証明するために用途から契約先や売り主と物件の名前まで白状させられた。そうして手にした二百数十万を抱えて広瀬川を渡った。
仮契約が済むとようやく心が落ち着いてきた。もう後戻りはできないんだ。本契約の日が待ち遠しいほど心が躍っていた。

 それから半月経った。
手にしてみればあっけない。売買した不動産屋にそのまま管理も委託したせいか、空いていた3部屋もまもなく決めてくれた。最初から満室経営ですることも無い。本当に俺はアパートオーナなのか? 実感がわかなかった。家賃や敷金の振り込み金額さえ、ただの数字の羅列にすぎない。
入居者からの苦情が立て続けにきて、修繕や補修が入ってチョイチョイお金が出ていった。早速これかい、ハズレ物件にあたっちまったかな……と後悔したり怒ったり、泣き泣き請求金額を振り込んだり少しずつオーナー的な実感が沸いてきた。

 店の方は夏物現物を少しだけ仕入れて、マネキン台の補修をしたり、ネットショップにアップしたり、いつもの最低限のルーチンをこなすだけだ。町の会合でケンカしたり、同級生が亡くなったり、目の前で死んでいく交通事故に遭遇しても何もできなかったり、落ち込むことが多かった日が続いたが、アパートは関係なくお金を運んでくれて借金を返しても少しずつ残高は増えていく。これはやっぱり良いことだろう。投資金額の回収はまだまだ先だが、どうにかこうにかなりそうだ。
金融庁は年金を満足に払うことをあきらめ、老後は自分でなんとかしろよと言い始めた。これから投資熱がよりいっそう加速するのかもしれない。まだまだ始まったばかりだがアパート経営は楽しんでいけそうだ。様子を見ながらまた物件を買い増ししようと考えている。たぶん自分にできる投資は賃貸経営が合うのかもしれないと思い始めた。これから投資をしようとする人も選択肢の一つをとして考えても良いのではないか。人によりけりだがたぶん楽しいと思う。