1年ぶりの某ラーメンと牛丼チェーン

  Y町のアパートの掃除に行ったときに久しぶりに幸楽苑でラーメンを食べた。

去年の秋は母の入院やら宅建試験やらなんやで体調を崩していた。食欲は無いし酷い便秘になってて死の予感すらした。

そんなとき親戚のおばちゃんがラーメン屋に誘ったので付き合ったものの、無理に食べてお冷を二杯お替りしてしまったのが悪いのが吐き気がこみあげてきた。これほど強い吐気は、20代のころの飲みすぎ以外は5年前の急性胃炎の時ぐらいか。まさか我慢できずに駐車場でやっつけちゃうとは思いもよらなかった。そのあと運転しながらもどして車内は汚物でまみれて臭いし、となりに座ってるおばちゃんは心配するよりも呆れてる。

ラーメンに罪は無いもののそれ以来その店に入る気にはなれなかった。

しかしY町には食べ物屋さんが少ないのだ。100円ショップもヨークベニマルもある大都会なのに不思議なことである。その貴重なラーメン屋さんに入ると昼時なのに珍しく空いていた。いつも年配の客を中心に混んでいるのに。

注文は当然のようにタブレット操作である。しかしこいつが分かりづらい。まず最初にキャプテン翼の画面からの操作が見当もつかない。スタートのダイヤログがないか必死に探す。

運よくスタートしてもそこからが意味不明である。目当てのラーメンを見つけてもそこから画面が変わって大盛かどうかとかトッピングとか煩わしい。プルダウンメニューやサブ画面でなら話も分かるが、いちいち画面が変わるとショックで記憶が飛んでしまって、今何を注文してるか、なにをしているか、ここはどこ?わたしはだあれ?状態になってくる。

白河市幸楽苑ではメニュー操作がわかない人は気軽に呼んでくれと言ってたのでここでも気軽に呼んでみた。

しかし、店員はオーダーを伝えても無視してタブレットを操作してくれという。教えるからと。講師様のいうとおりに操作して、ようやく無駄に足の長いサッカー選手が消える。しかしそのあと、店員もアレ?ちょっと待って状態である。店員さんも操作の難しいタブレットなのである。マゴマゴしながら時間はかかったものの、ようやく注文が叶った。

 

「店員も操作できないもんを置くなよ」とやんわり伝えると店員さんは苦笑い。数人の客がこのやり取りを注視していたように見えるのは気のせいか。激しく同意していてくれるといいのだが、メニュー操作もできないジジイは来るんじゃねーよと思われていたとしたら残念である。

安いのは確かだ。大盛でふつうの価格だと思うのだが、量を減らして安くするそのいやらしい価格設定が檜原湖の山塩ラーメンみたいで初見の客に不親切だと思う。

まあ、たぶん幸楽苑は当分いかないと思う。

 

 つい先日、退去時にちゃっかりアパートに備え付けのガス台を持ち帰った人が返してくれた物をアパマンショップまで引き取りに行ったその帰り。

昼時もちょっと過ぎたころ、久しぶりに牛丼を食べようと寄ったけど食券機が変更になっていた。こいつがまた俺には難解な設定である。のぼりに出ていた親子丼が食べたかったのにいくら丼ものを選んでも出てこない。後ろに並んだ客も気になる。先に並んでいたお兄ちゃんがなかなか決まらずにイライラしていたけど、なるほどメニュー操作の券売機は不親切である。「牛丼並」とか「親子丼大盛」のボタンだけなら簡単なのに。あきらめてなんとか画面を出すことのできた牛丼の並と大盛を選んだ。負けたのだ。機械に屈服したのだ。

ルフレジを華麗に制した男も、タブレットや券売機にはなすすべがなかった。

これで入れない店が増えた。これから年を経てますますわからんようになって、外食はできなくなって餓死してる自分の姿を想像しながらカウンターで待つ。

注文来るのが遅い遅いと思ったらいわゆるワンオペのようだ。昼過ぎとはいえ、まだまだポツポツ客が入ってきてるのに女の子ひとりで廻している。弁当と店内食を選べるのならカウンター席にタブレット置けばいいのにと幸楽苑が偉く思えた。

奥を見ると持ち帰り専用の窓口があるのに気づく。あっちの窓口なら口頭で注文できたのかなと考えているとようやく注文が来た。アパートに戻ってガス台を設置した後に食べようとしたら箸がついてなかった。

ふたで食べた牛丼はなんか薄味だった。

 

 

クレカ不正利用にドキドキ

 ひたすら走る。水戸まで。天気はいいし、途中からは久慈川沿いにほとんど一本道のなので楽である。

 最近はクレカをあまり使わない。

私用で使うのはデビッドカードがほとんどなので利用明細もわざわざログインしてまで確認はついおろそかになる。引き落とし口座にも貧乏ゆえ残高がほとんどない。

今よりももっと貧乏していたころ、月々の赤字分をクレカのボーナス払いやキャッシングでしのいでいたので毎月の請求にビビりまくっていた。

そのころに比べたら平和なものである。毎月の支払いに悩むくらいなら欲しいものは我慢する耐性も身についた。そのかわりちょっと余分な現金ができたりすると自転車を買ってみたりするのだから困る。

 

そんなある日、カード会社より引き落としできなかったのメールが届いた。

不動産で必要なものをネット購入する以外は電話料金ぐらいしかカード決済はないはずなのに。

以前に知らぬ間に請求が上がってきたのはアマゾンプライムとヤフープレミアムである。通販でサクサク注文するといつの間にかプライム会員やらプレミアム会員やらに登録される。気が付くと数か月も払っていたことにあとで気づいてがっかりしたりする。不注意だと言えばそれまでだが、アマプレに関しては悪質だとしか思えない。

ちなみに昨年はアマゾンプライムに3回(1回は半額で済んだが)、ヤフープレミアムが一回。前科があるので真っ先にチェックするもののどちらもシロであった。

 

ヨドバシや楽天、他通販やメルカリもチェック。見逃しがないかカレンダーの裏に書きだしてひとつづつ消していく。

最後に怪しいのはスマホである。手軽な反面、サイトをめぐっている間にいつの間にか契約していた可能性もなくはない。

無料ゲームアプリにいつの間にか課金していた可能性も考えるが、これは本人さえも知らないパスワードが必要なので除外。スマホの契約書を引っ張り出して会員サービスらしきところからチェックするがサブスクも他の契約も見当たらない。

 

 次に請求先の名前から検索すると海外サイトがヒット。どうやらサブスクの動画配信サイトのようだ。日本語サイトもある表記になっているがどう頑張っても出てこない。いまどきサブスクといえば1000円前後が普通じゃないのか?7000円以上の請求とかありえない。少なくとも普通の業者ではないし、間違ってもこんなサイトでクレカを使うことなどありえない。

これから毎月7,000円が引き落とされるわけだ。年間9万円近くは貧乏アパート経営の身には大きすぎるだろう。

ここまで来てようやく不正利用だと確信できた

即座にクレジットカード会社に連絡。担当者が2週間以内に連絡すると言われてガッカリするものの、当日午後には連絡が入った。

担当者に今回の使用は仕事専用のクレカであって国内大手通販業者の利用しかないこと。海外サイトの利用がないこと。海外旅行もないことなど説明して調査した結果、不正利用認定してもらって返金してもらえることになった。

彼の説明によれば犯人は総当たりでクレカ口座を探すので防ぎようもないとのこと。今回のは返金するがサブスク契約が入ってるのでクレカの口座を変更するしかないとのことだった。

 

 さて、変更するのはいいのだが、そのために支店まで出向かなきゃいけない。以前クレカ紛失の時は東京出張が定期的にあったのでメーカー展示会に合わせて済ませたのだが、いまは洋服屋もやめてしまったので東京へ行く用件もない。

一番近いのはと考えると仙台か水戸市。ともに県外である。仙台は10年以上、水戸は子供のころに偕楽園大洗海岸へ行ったときだけである。

しかも予約は2週間先でしかとれないらしい。仙台へ高速バス2200円で往復することも考えたが仙台は良い思い出がないし面倒なのでパス。

水戸は水郡線を利用すれば各停のみなので3時間以上だが、車でいけば2時間少々、梁川へ行くのとそう変わらんだろう。一般道を往復200㎞、ガソリン代は燃費が伸びることを計算して2300円といったところか。最近は高速を走るのが疲れるので空いた一般道はありがたい。

 

水戸市内はナビが無ければ迷っていたかも。道が合流したり別れたりなんか複雑である。しかもMFUJ支店は店舗が移転しててネットで見たのとは違う外観だった。道を挟んで向かい側のビルの3階に移転だから余計ややこしい。一階にATMの看板が見逃してくれとよとばかりにひっそりとたたずんでいた。心優しいおれは2回も見逃したので三週目でようやく到着した。結局3時間かかった。水郡線に乗ったほうがよかったかな。

予約時間より30分早かったけど昼食を後に回すことにして3階の店舗へ入る。

手続きはなんなく済んであっけなかった。クレカの口座は使えないけど、銀行口座は通常通り使えるので現金を入れていても問題なかったことに気づいた。車の保険が引き落としできなかったのが残念。

水戸黄門の像にお別れをして水戸市内を出る。ガソリンスタンドの表記が地元より10円安かったのに目を疑った。

ひとつだけ良い思い出は、帰り道に寄った店で食べたかつ丼が美味しかったこと。出汁の利いたつゆだくカツ丼をスプーンでめいっぱい音を立てて吸い込むように食べた。個室なので周りの目も気にならない。

洗濯パンの交換と洗面台の塗り替え

  以前から気になっていた洗濯パン。洗濯機の下の水受け部分。。当初は何色だったか記憶にないが二十数年ですっかり茶色っぽくなってしまった。普段は必要もないが何かの加減で排水があふれてきたりすることもあるので無くてはならない。

洗面台のボウル部分も同じく変色や汚れで汚く見える。

しかし本当に気になるのは剥がしかけのシミの出ている壁紙なのだが。

 2年前に脱衣所の壁紙は二階のトイレからの水漏れシミができていた。J〇のお高いけど保証が万全だというふれこみの保険に加入していたのでそれで直そうとしたものの、査定会社の人が保険は効かないと言ってリフォーム会社の人を驚かせていた。すでに120万もの保険金を払い込んでいたのに1円も下りないので詐欺にでもあったようにショックを受けた。この保険そりゃあJ〇にとっては「無敵」である。すかさず解約の手続きをとったものの、解約手続きに来た職員が「ずいぶん払い込んであったのにこれしか戻りませんねウッシッシ…」と笑いながらお茶菓子を美味しそうに食べて帰っていったのにもムカつくし、お前に言ってもどうせわかるまいと云った馬鹿にしたような顔で、保険が下りない理由さえも説明せずに帰っていった査定人も腹が立つ。思い出すと腹がたつので必死に忘れた。業績不振で統合に次ぐ統合で近所の営業所ですら日に日に職員の数が減っていってるのだから保険金など払うすべもないのだろう。詐欺にあったと思ってあきらめるのだ。

悲しみに暮れて数年、ようやく立ち直って脱衣所の補修をやる気になったところだが、今度は壁紙が値上がりしていた。70%OFFが普通だったのに、軒並み60%OFFでしか出していない。コロナのせいかロシアのせいかわからんがショックである。10月にも再値上げのうわさもあってブルーになる。

 

 とりあえず薄茶色っぽい洗濯パンを交換だ。外しにかかったのだが排水トラップがきつくて回らず外れない。アパートのリフォームで身に着けた高度なテクニックを駆使したのだが如何せん回らない。パンごと外してしまおう思ってもパンを止めている壁際のネジも外れない。スキマ用の専用工具を買ってきたがそれでも動かない。よくよく調べてみると、なんと最初からネジが入っていなかったのである。すべてのネジが外れていることにあらためて気付くと今まで持ち上がらなかったパンがあっさり持ち上がるから不思議である。

引きずりだしたパンの裏側からトラップを外しにかかったのだが、これもいくら回しても外れない。悪戦苦闘、古い自転車チューブを絡み付けて回すこと数分(体感数時間)ようやく外れた。きっとレスラー副業の職人がちからまかせにギリギリ締めこんで取り付けたに違いないのだ。

塗り替えるなら数百円で済むのだが、ネットで5,600円の新品が見つかると面倒だから交換することにした。正方形のサイズなら2,700円からあるがクッションフロアの貼ってない下地が出てしまうので同サイズを設置。

やっぱり新品はいいなぁ。試しに流した水もふわふわと流れていく。きれいに排水溝まで流れるわけではないけど、まあ良しとしよう。

白く輝く洗濯パンを取り付けた後に何度も何度も眺めて悦に入る。DIYで節約できた金額を計算しながらほくそ笑む。これこそDIYの醍醐味である。

 

 洗濯パンがピカピカになると今度は洗面台の樹脂の部分が汚いのが目立つようになる。これも洗濯パン同様に色づいているのだ。乱雑に歯ブラシやら毛染めやらを置いてあるので余計みっともない。ていねいに磨いて汚れは落ちても茶色に変色したのは消えることはない。

樹脂の棚部分を外して自作の木製の棚をつけることも考えたが、面倒なのと資材もやっぱり値上がりしてるので塗り替えに決定。

試し塗りをしてみるとプライヤーは必要ないようだ。壁、陶器や鏡部分に養生だけしてスプレーを吹きまくる。マスクを二重にしてもシンナー臭いのは避けられない。ヨガ教室で習った呼吸法を応用しながら、時々外に出て深呼吸を何度も繰り返してなんとか塗り終える。窓全開で換気扇と扇風機をフル回転していたので臭いはこもらずに夜までは消えた。

陶器の洗面ボウル部分は磨いてもとれない汚れがあるのでやっぱり再塗装である。ミッチャクロンを厚めに塗って(あまり厚めには塗らないほうがいいらしい)スプレーを二度塗り。ざらついた部分は細かいヤスリで仕上げる。

 仕上がりの良さにに惚れ惚れする。白く輝くその美しさときたらもう感涙ものではないか。これほどの天才的な腕をDIYで埋もれさせておくのは社会の損失ではないのか。

このまましばらく様子を見て、汚れや傷がつきにくいようならアパートの洗面台も塗り替えてもいいかな。交換すれば数万から10万前後はかかってしまうから数百円で済むのなら考えてもいい、つうか考えることもないかも。アパート経営に見栄と驕りはご法度である。

度重なる地震でボロボロの壁。やっぱ隅っこが被害を受ける。今回もパテ埋めでごまかし。

パン交換とクロス貼り替えて明るくなった脱衣室。

  きれいになって気をよくしたところで壁紙も張り替えることに。前回用意していた壁紙が残っていたのでそいつで張り替える。柄合わせが難しいのでアパートには一度使ったきりである。

今回は腕も上がったと思って試したけど、やっぱり柄が全然ズレている。足りなくなったのでもうちょっと簡単に思えるスヌーピー図柄を試してみるがこれもズレまくり…というより始めから合わせる気さえなかったようなテキトーさだ。

つくづく才能がないのかと肩を落とす。

まあでも自分の家だし、裸眼視力は0.3なので問題ないかもしれない。もうなんか気力が無いのよね、飽きたのかもしれない。

でも新しいのに張り替えると気分がいい。

 

 数日後、洗面台になにげに置いていたゴム手袋を片付けるとなんか「ベリッ!」って……

陶器の塗装は完全乾燥まで数日見たほうがいいみたい。

 

セルフレジで傷テープを買う、果敢に立ち向かう俺

 「カットバン」を買いに行く。ドラッグストアが乱立してからは東北でもバンドエイドやら何やらも目にすることも多くなったのでカットバンという呼び名が古めかしく感じる。

セブンイレブンだと「救急バン」、ダイソーだと「救急‼キズテープ」のようだ。

ダイソーの「LL版」が安くてお気に入りなのだがコロナ禍で中国の生産が落ちてるせいなのか、ずっと見当たらない。まあ普通サイズもないので大都会の病院に行ったついでにダイソーでまとめ買いしようと立ち寄った。大都会ゆえに品揃えが豊富でLL版もあるかと思ったが見当たらない。MとLと大判とを買ってレジを探す。

なんとすべてのレジがセルフレジになっていた。さすがは大都会のダイソーだ。店員も客もすでに100年前からそうだったように、なんの迷いもなくサクサクと会計をこなして帰っていく。呆然と立ちすくんでいるのは俺だけだ。ベイシアかイオンで使ったことはあるが、その時は店員さんが付きっきりで教えてくれた。一人でこなせるか自信がない。

 近くにいた店員さんに声をかける「すみません、使い方がわからないんだが」

「まあ、今どき自動レジの使い方がわからない人なんているかしら? そうか、あたしとお話ししたくってレジがわからないふりしたのね。忙しい時に迷惑だわ、ああ、超絶美人に生まれてきた自分がうらめしい。でもゴメンナサイ、オッサンはパス!って、仕事だからしょうがないか、どうせ知ってるんだろうけど教えてやらなきゃ」

と思ったかどうか知らないが面倒くさそうに画面を指して「ここ!スタートを押すの」とだけ言って去ってしまった。

やれやれ、手取り足取り教えてくれるんじゃないのか、まあとりあえず挑戦だ。スタート→レジ袋いらない→スキャン→会計→支払い→お釣り まあなんとか無事に済んだようだ。帰り際さきほどの店員の姿が見えたけどなんにも気にするそぶりもなく仕事に没頭していた。

どんな艱難辛苦にも果敢に立ち向かい、その知恵と努力と経験で逆境を乗り越えていけるオジサンだと信頼されたようだ。非常にうれしい。

 

 数日後、今度は小都会のダイソーでシャモジその他3点を買う。今度は有人レジが一台とセルフレジが3台である。直前に並んでいた老人はタイミングよく有人レジへ誘導された。俺はどうなる?自信はあるがどうせなら有人が良い。

しかし無情にもすぐに空いたセルフに誘導された。後ろの人に譲ることもできたのだが、せっかく覚えたのだからやってみよう。

二度目なのでなんなくこなすことができた。この複雑な高度に電子化された現代社会を生きて行けるお墨付きをダイソーのセルフレジにもらった気がした。レシートの代わりに領収書が出てきたのは愛嬌だ。

 

 しかし、不思議なのはスキャンされたか不安になってもう一度スキャンしても一度読み取ったものは二度と読み取らない、同じものを二つ買ったときはどう判断してるのか不思議。

でもそんなことを人に聞くと「そんなことも知らないのか?何十年生きてるんだよ」と言われそうでイヤなので前々から知ってるふりして生きていく。

 

フンドのハス池

 福島民報の「花紀行」にまたハス池が掲載されていた。

今度は三春町古殿(ふんど)の休耕田を利用した蓮池。面積は塙町より小さいが今年で2年目、紙面をかざる画像がきれいだったので出かけることにした。

三春町へ行くのは数十年ぶりだろう。最後に滝桜を見たのはいつだったか。となりに女の子が載っていたのは覚えているが顔は忘れてしまった。相手方はそれすら忘れているだろうが。

 地味な場所なのでカーナビではいきつけないのだが、スマホのグーグルアプリがなぜか今日は無言に徹しているので、新聞に書いてある番地を入力して久しぶりのカーナビ起動である。

 須賀川からひたすら山道を走って三春町へ、臨時駐車場へ止めてハス池へ向かう花道を旧車達が迎えてくれる。真っ赤なフェラーリのさりげない佇まいがちょっとうれしい。

 

塙町に比べると面積は小さく、街中にあるので、すぐ民家や廃車置き場が見えたりするのはご愛敬か。

ハスの花は満開に近いのかな、全体的に咲き乱れてきれいだった。色合いのバランスもなかなかであった。

 蓮池を眺めていると話しかけてきたおじさん、関係者かなと思ったらふらりと立ち寄っただけの地元の人だった。

自分の瓢箪工房の話をしていて流れでお邪魔することになった。

街中よりはだいぶ外れているが、高台の見晴らしの良い自宅の隣に建てられた工房の中に圧倒的な数の瓢箪。

瓢箪の他に趣味の音響設備やペコちゃん人形なども興味をそそる。

帰りにはお土産までいただいてありがとうございました。

  帰りがけに田んぼアートの看板が見えたので脇道にそれて走る。「たかのす(鷹巣田んぼアート」入ってすぐの所にお姫様らしきアートが。見る位置が悪いのか目のあたりがどうなってるのかわからんかった。







スイレンとハス

 地元の新聞の「花紀行」のコーナーが好きだ。県内なので記事の出た次の日か週末には出かけてしまう。

真っすぐに伸びた蓮の真っ白い花の写真に魅せられて塙町の上渋井ハス園へと出かける。スマホのナビ通りに走ると間違ってるんじゃないかと思うくらいどんどん狭い道へとひきづりこまれていく。小さな看板を見つけてほっとして着いた先は山に囲まれた水田。そこから絶景が広がっている。

 近くの公園で見るのとは違ってすうっと高く伸びている。花の形も大きく鮮やかである、と思ったら睡蓮と蓮を一緒くたにしてただけだった。

休耕水田を利用して地元の有志が作り上げたハス園らしい。

地元の有志の方だろうか、案内の人がしきりに匂いを嗅げと言ってくる。言われたとおりに嗅いでみると「高貴なにおいでしょう」って。高貴かどうか、芥川龍之介の「池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂いが、絶え間なくあたりへ溢れて居ります」ってところなのか。

さらに落ちていた花びらを一枚とって目の前にかざしてくれる。「レンゲですよ。似てるでしょう、名前の由来はここから来たんです」そう言って蓮の葉の上にそっと乗せた。

蓮の華→蓮華→レンゲ だったのか。

今年で8年目になるというハス池。今年は寒かったせいで開花が遅れて例年よりも背丈は低いらしい。それでも100アールの土地に目いっぱいあふれるように咲いている蓮は見ごたえがある。塙町といえばダリアの町なのだが、それよりもハス池の印象が強くなった。

 「蜘蛛の糸」のある天上界はこんな光景なのだろうか。なるほどこれではお釈迦さまもぶらぶらお歩きになりたくなるはずだ。

ぶらぶら歩くと奥のほうにも黄色い花ーアサザというらしいがー群落が見える。

さらにその奥には、よく見知った睡蓮が島になって咲いている。

シオカラトンボの姿も久しぶりに見れてうれしかった。

 

 

 ヤフオクで3000円で買って玄関に飾ってある複製画が睡蓮。

お釈迦様がぶらぶら歩いてカンダタと戯れるのが蓮池だ。

この年になってようやく知ったのが情けない。

 

 ↓これが町内の公園のスイレン

水面に咲きます



ダイエット沼地獄からの解放

 今までいったいいくつのダイエット方法を試したのだろう。

一年にひとつ以上はやってるか? 多いのか少ないのか。

今もアマゾンで検索すれば、勝手に痩せるだの自然に痩せるだのいかにも何もせず黙って瘦せていくようなタイトルの本が上位に並んでいる。読んでみれば、どの本もそれぞれ理論正しく思えてこれなら絶対やせるはずと思わず納得してしまうのだ。

妄信して必死こいてやるからそれなりの結果が出る。しかしその期間は長くなくて、やがて停滞するのだ。

停滞期はありがちだとどの本も書いてあるので、あきらめず続ければ痩せると信じて続けるも、何故かじわじわ太りだす。

最後には結局元の体重に戻るか、さらに太るかどっちかでそのうち止めてしまうのだ。

このサイクルがこの十数年えんえんと続いている。

 直近に行ったダイエットは「糖質制限」。こいつは自転車に次いで2番目の良い結果をもたらした。

3か月で85㎏から瞬間的には78kgまで落ちた。これは妄信せざるをえない。信者となってこつこつ続けるもお決まりの停滞期を過ぎてまた太りだした。定期的に通っている内科の先生に「これ以上太らないように」と言われたのが82㎏のときでそれから順調に増えて85㎏を超えた時点で糖質制限ダイエットはやめた。内科の先生もあきらめた顔をしていた。

最初に満足できる効果が出たので、いい気になって毎週新しい糖質オフ関連の本を読み漁った。さらに親戚や知人にその素晴らしさを布教して回ったのに。

w医師と約束した75㎏を切ったらブログを更新するつもりだった。人気が出て出版要請が来たら何冊でも本を出そうかなとまで計画していたのに。

そんな折、ワイドショーを見てたら、年をとってからは太ったほうがいい、「小太り爺さん」が理想的だなどと言い出した。65歳迄はまだまだあるとはいえ、ぼちぼち瘦せることに重きをおかなくてもいいのかなと思った。糖質制限の無意味さを一茂がわかったようなことをテキトーに語っていた。

先日読んだ「満腹食べても太らない体 (富永康太)」を思い出した。

従来の食事制限によるダイエット方は間違っていて、太るのは脳の問題ーホメオスタシスにあるのだという。急に体重が減少すれば体は危機感を感じて基礎代謝を減らして体重を元に戻そうとするのだ。これが停滞期の原因なのだがそれを超えるとまた減少するのだというが、そこまでいったことが一度もない。そしてこの本は糖質制限を真っ向否定してあるではないか。

さらに気になって図書館で探した本が「年をとったら食べなさい(佐々木淳)」

ワイドショーの内容がほぼ書いてある。これが最近のはやりなのか。

 

 また簡単に洗脳されたようで不本意なのではあるが、ダイエットの呪縛から解放された気がする。毎日ごはんやお菓子類を我慢するストレスから解消された。さらに体重計に乗ることもぴたりとやめてしまった。太るいっぽうだと乗るのが恐怖でしかなかったので、かなり気が楽になった。

やめた当初は体重が気になったけど、体調は良くて動きも軽いので良しとする。多分それほど変わらないのかなと思う。

 

 とりあえず今は食べたいときに食べる毎日。朝食抜きのプチ断食ダイエットも中止にして三食心ゆくまで味わっている。

朝のニンジンジュースともち麦を少し混ぜて炊くのだけはおいしいので続けている。

まあ今までよく頑張った。もう我慢しなくてもいいよって言われたような気がしないでもないのだ。